寒川写真道中記
出発地点:西都市役所
ここより約20kmで寒川集落に着く。しばらくは市街地であるため、補給は充分に。
山路川
清水神社
拝殿前に七夕飾り。いかにも村のお社らしい雰囲気。
三納方面と、国富・綾方面に分かれる場所。国富・綾方面を選択し、歩を進める。
三納川
三納の交差点付近で目にとまった
「矢久度神社」
小高い丘の上に鎮座まします。
宮の下バス停を発見し、納得。
この道はいわゆる高鍋と綾を結ぶ街道である。
旅の途中の交流が生まれるのも、えてしてこういう場所を行くときが多い。
八双田川
戸敷交差点
市街地からの道を外れ、今回の主題の道へと向かっていく。
遠くにみえる山々を眺め、前世紀の往来を想う。
都万や都於郡までならば、寒川は日帰り圏。
船形埴輪の水桶:
西都市は国内でもかなり早い時期に発掘調査の対象となっている。
寒川の住民は、その麓「福王寺」地区へと移住した。
確かにこの距離感であれば、街への行き来はかなり便利なものであろう。
街道沿いに立つ八幡神社。
社殿は森の中に有り、静謐な空気が漂っていた。
県道40号線から319号線へ
牛舎の角を曲がり、寒川への一本道。決して広くは無い道であるが、車の通行は案外多い。
319号、寒川行の第2クールといったところ。
日陰が多く、この日ずっと炎熱に晒されていたところにはありがたい。
寒川への入口より三財川を見下ろす。
山里は必ずしも静かではなく、沢山の音に包まれている。
三財発電所入口
宮崎県の企業局の管轄。ここからしばらく上ると、ブーンという低い機械音が聞こえてくる。
道の傍らにあった「命の水」で顔を洗い、口を漱ぐ。どこかに居るであろう妹尾氏に感謝の
辞を述べる。「この日自分を、生かしてくれてありがとうございます。」
このトンネルを抜け、さらに小1時間ほど歩く。
聞こえるものは鳥の声、三財川のせせらぎ、虫の調べ、風の響き、ざわめく木々の音。
寒川の入口が見えた。
この辺りから、急に空気が変わる。山の中特有の不思議な感覚。
辿り着いた寒川集落の玄関、ここからしばらく、急峻な山の回廊を登っていく。
何度もS字を描きながら、一気に標高が高くなっていく。
一歩一歩踏みしめて、遥か寒川の集落を目指す。
寒川の大師講をしるすもの。不動明王像の火炎光背がみごと。右は弘法大師坐像。
登りついた場所に、集落跡が。
集落ない各所を埋め尽くすような石垣の量が、かつての賑わいの名残。
「寒川」掲示板。この里には命がかよっている。
大きな屋根が印象的な民家。
風通しのよさそうな造作になっている。
おきざられた地下足袋:煙管と対比、すごく小さい。農作業にいそしむお婆ちゃんの匂い。
寒川に立つ。
屋根が落ち、植物に覆われていく民家。
生活の匂いがかすかに残るような屋内。
アスファルトの道をも、時間が経てば植物に覆われていく。自分たちの生活の場も、
いつかは自然に還っていくものなのかも知れない
置き去りになったラジカセ
かつてはどのような音楽を響かせていたのか。
子ども用の自転車か。
街の駅に置き捨てられているものよりはっきりとした塗装が残っている。
映画「寒川」の記事がスクラップされている。
何の予備知識無しに来ても、これを手に取るとまったく新しい感慨が湧くに違いない。
集落の記憶を留めるのは、建物だけではない。
更に遠い、歴史の一端を記すもの。
天神社へと向かう道。庭の樹木も野生に戻って、自由に繁茂している。
一見すると今にも誰かが出てきそうな。
軽く2mを越すアジサイ。
今もこの場所を想い、心ない者を遠ざけるかのような一隅。
ひと際高台にある建物。ここまで登っていく方法がわからなかった。
遊魚池のような一画。一群の魚たちはまだそんなに大きくなくて。
生活のためでもあっただろうか、有用植物が庭木と混在している。
お茶の葉っぱも青々と。
苔むした石段
寒川天神社
奉納されていた幕は平成十年のもの。人が絶えてもなお、尊崇の念は消えない。
民家の屋根。
次の世代の植物たちの苗床になっていく。
ここに来て、思うところも多かった。またいつか、たずねて来ようと思う。